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細田神社
歴史
律令時代において、当地域は下総国葛飾郡に所属。
平安時代末期にあたる万治元年(1165年)秩父平氏の流れを汲む葛西清重は、伊勢の神宮(内宮)に「葛西御厨」を寄進。
度重なる動乱により「葛西御厨」の記録は一部しか残されていないが、猿俣、小鮎、飯塚、金町、曲金郷などから構成されていたことが解っている。
後に、葛西清重は源頼朝の篤い信任を得、安土桃山時代まで葛西氏は奥州で栄えた。
なお当地域の前身は曲金新田と称され、時代が下って「新編武蔵国風土寄稿」に細田村として見え、『稲荷社 村ノ鎮守トス 東覚寺持 末社 天神』と記されている。
元和8年(1622年)の検地帳によれば曲田新田が元禄期に細田村と改名し、茄子が特産とされ、養鶏も既に盛んに行われていたことが窺える。
一説では、慶長年間に紀州から細田氏がこの地を開墾したことによると伝わる。
神社の神明鳥居には、安政の大地震で倒壊した鳥居を再建した記録が銘記され、さらに明治初年に我が国に西洋野菜が伝来するが、特に甘藍(キャベツ)は、当地域の篤農家、中野藤助氏が苦心の品種改良を重ね、「中野甘藍」と命名。
キャベツ栽培を日本各地に広める基礎を築き、神社境内にこれを記念する銘板が設置されている。
社殿木造 本殿 間口〇、七八間 奥行一間
拝殿 間口三間半 奥行三間
幣殿 間口一間 奥行一間半
境 内 430坪
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